食に感謝

毎日の事で一番身近なものは「食事」でしょう
食物は、私たちの生命を維持する為に必要不可欠なものです。
普段から特に意識もせず何気無く口にする一つひとつが大自然の力や、人の手を通して形となったものである事を考えた事があるでしょうか?
私の実家の田んぼでも作っていましたが日本の主食であるお米は、土作りから始まり、種まき、田植え、稲刈り、精米と、長い月日の間に手間暇をかけて育てられています。
古くからは、米は神を祀る儀式の際のお供え物として、
その他でも様々な儀式や行事などにも関わりが深い存在です。
食事の際に「いただきます」と挨拶をしますが、この「いただき」とは、
頭上に乗せる意味を表している言葉だそうです。
神仏に供えた物を飲食する際や、上位の物から物を貰う際に、頂きに掲げた事から、
「頂きます」と使われる様になりました。
神仏や上位の者から頂戴するから、そこには感謝の意が込められているのです。
靴に感謝

若い頃は靴に感謝した事なんて一度もなかったですし、そんな概念すら微塵も無かったのですが、
私の師匠が「靴に感謝をしなさい」と教えてくださりました。
何故ですか?と問いを投げかけたところ、師匠は、
「靴を履かずに生活してみなさい。職場へ。買い物へ。遊びへ。帰路で。あなたの足はどうなりますか?」
そう聞かれた瞬間に、自分が今までなんて物を粗末に扱う愚かな人間だったのだろうと反省させて頂く機会になりました。
裸足で外を出歩くなんてとても危険で歩く事なんて出来ません。
職場にも行けないし、遊びにも行けない。
身近で当たり前にある靴ですが、師匠に「靴の有難さ」を気付かせて頂いた時から、
家を出る為に靴を履く時には『今日も一日宜しく』
家に帰って靴を脱ぐ時には『今日も私の足を守ってくれて有難う』
と、靴に感謝の意を伝える様になりました。
私の場合は靴に「有難うね」と話しかけていますが、重要な事は感謝を意識する事ですから、
言葉として発せずとも、心の中で念じるだけでも十分です。
靴に話しかけているところを誰かに見られでもしたら、
その日から変人扱いですからね(笑)
そして、私たちがお風呂に入って身体を綺麗にする様に、
毎日ではありませんが最低でも週に一回は靴をピカピカに磨いてあげています
勿論、日々足を危険から守って頂いている感謝の意を込めて。
心が変われば世界が変わる

飯を食えるのも当たり前じゃない
足が傷つかないのも当たり前じゃない
手が思い通りに動き仕事が出来るのも当たり前じゃない。
そう考えてみると、一番身近で感謝するべきは、
自分自身の身体でしょう。
怪我、病気も無く健康でいられている時点で感謝。
そうやって当たり前の様に見えて当たり前じゃない事を意識し始めると、
上司が叱ってくれる事も、
部下が仕事を手伝ってくれる事も、
社員がたとえ遅刻してでも出社してくれる事も、
奥さんが飯を作ってくれる事も、
旦那が外で稼いできてくれる事も、
子供が元気に自分の夢を追いかける事も、
その全てが当たり前の様に見えて、でも実は当たり前ではなく感謝に値する事なのだと気付かせて頂きました。
決して、私の身の回りの人間が行動を変えたのではありません。
私の心が、目に見え辛い感謝を意識する様になったから、
今まで普通だと思っていた事の真意が見える様になっただけです。
まとめ
心が変われば、行いが変わる。
行いが変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
心が変われば運命が変わると師匠から教わりました。
では、心はどうすれば変える事が出来るのか?
一番簡単な方法は、環境を変えてしまう事。
人の心、性格は完璧に環境の影響を受けています。
ですから、夜、気の合う仲間内で集まって飲みに行って愚痴を言い傷を舐め合うくらいなら、
そこに使う時間を、志が高い人間達と会う事に使い夢を語り合い認め合う方が、何倍も心の栄養になります
心が変われば、行いが変わる。
行いが変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
自分の人生が今のままで良いなら何も行動をしない事です。
それだけでいい。その方が何も辛くない。
ただ、それでも自分の人生を運命を変えたいと願うならば、
まずは自分の心を入れ替えてみると、違った世界が見え始めるかもしれません^^